釈真祐の今日この頃

富山在住の浄土真宗(真宗大谷派)僧侶・釈真祐が、親鸞聖人の教えを学びながら感じたことを書いていくブログです。

法話 2020年6月永代祠堂経(後編)

前回のブログの続きです。

 

 

 

 

 

 

それに対して親鸞聖人は、「念仏申せば救われる」という教えの「宗」、つまり教えを成り立たせる根拠は本願であると説かれました。

 

本願とは、阿弥陀様が私達との間に結んだ約束です。

 

「10回程度、それが無理ならもっと少なくても、最悪一回でも、私の名前を呼ぶ人がいれば、必ずお浄土に連れていきます。それが出来なければ私は仏にはなりません」

という阿弥陀様の約束であります。

 

そして同時に、
「だから恐れず、疑いなく、私の名を呼んでください」

という阿弥陀様の呼び掛けでもあります。

 

そこには「どんな人が念仏を称えたら救われるのか」とか「どの様に念仏を称えたら救われるのか」といった条件はついていません。

 

ただ「念仏申せば浄土に生まれる」というのが、阿弥陀様の約束の全てです。

 

どれだけ真面目な心を持っているかとか、人の役に立つことをしているかという事も、この世間で生活する上では大切なことですが、お浄土に生まれる上では関係がないのです。

 

「念仏申せば浄土に生まれる」という教えは私の努力や心持ちに根拠があるのではなくて、阿弥陀様の本願を根拠としている訳ですから、

この本願を信じてただ念仏を申せば浄土に生まれるという事を説くのが『大経』の内容であると、親鸞聖人は明らかにされたのであります。

 

 

 

ところで、本願を信じるという事は「他の条件なく、ただ念仏申せば浄土に生まれる」という念仏の力を信じるということですが、

言葉を換えれば「お浄土という念仏以外の条件を必要としない世界がある」ことを信じる、ということになるのではないでしょうか。

 

私達の生きる世界というのは、学校や職場であれば能力や学力の無い者には居場所が与えられません。

 

あるいは人付き合いが苦手だったり考え方が違うだけで仲間外れにされることもあります。

 

そして学校や職場で良い結果を出せない、高く評価してもらえないと、家庭の中でも居場所を失うということも往々にしてあります。

 

法律を守り税金を守っているにも関わらず、政治に批判的なことを言っただけで「国から出ていけ」と言われる様な国もあります。

 

ですから私達の生きる世界というのは、様々な条件を満たしていないと居場所を奪われてしまう、限られた人間にしか居場所が与えられない「狭い世界」であることが多いのではないかと思います。

 

そしてその狭い世界の中で、時に他人を蹴落とし、時に無理をして他人に合わせてでも自分の居場所を守らないといけない、そういうことも多いのではないでしょうか。

 

それに対してお浄土という世界は、念仏以外の条件を問われない世界です。

 

正信偈にも出てくる天親菩薩というインドのお坊さんの言葉を借りるなら、お浄土とは「広大無辺際の世界」、つまり世界の内と外とを隔てる壁の無い、限りなく広い世界であります。

 

私達の生きている世界は、自分にとって都合の良い居場所を守り、居場所を脅かすものを排除するために色々な「条件」という壁を作っていますが、

その壁の外に広がる限りなく広い世界がお浄土であり、そういう世界があることを私達に教えるのが、阿弥陀様の本願であり念仏であると、私は頂いています。

 

もちろん、本願を信じてもそれによってこの私達が生きている世界、仏教用語で「娑婆」と申しますが、娑婆が浄土になる訳ではありませんし、

娑婆に生きている限り自分の居場所を守るために様々な苦労をしないといけないという事は変わりません。

 

しかし生きていますとその苦労が出来ないという事もありますし、どれだけ身をすり減らす様な苦労をしても結果にならないという事もあります。

 

そんな時に、狭い世界しか見えない、狭い世界でしか生きられないと思っていると、ただ息苦しいだけだと思います。

 

そうではなくて、もしこの狭い世界の中で自分の居場所を見つけられなくても、それでも「生きていていいんだ」と言える様な、

どういう生き方をしていても無くならない、更に言えばこの体が寿命を迎えても無くならない居場所があるのだと信じられるという事、

その事がお念仏を通して私が頂いた救いでありますし、今日までお念仏の教えを伝えてくださった、数えきれないご先祖様の人生を支えてきた念仏の力では無いかと、思うことであります。

 

今日の永代経祠堂経というご縁に向けて、この数か月徹夜で法話の内容を考えたりお経の練習をしたりしましたが、その中で

「お経を読む、お経に説かれた教えを学ぶというのは、こういう行事のある時だけではなくて、少しづつでも毎日心掛けることが大事だなぁ」

と感じました。

 

どうか皆様にも毎日の生活の中でお勤めと聞法を大切にして頂きたいと願っておりますし、私自身大切にしたいと思います。